●玉木正之「『大相撲八百長批判』を嗤う」を読む(飛鳥新社、2011)。「大相撲、八百長で何が悪い」「大相撲をスポーツの理論だけで語るな」と論陣を張る筆者が、大相撲にとって八百長とは何かを、宮崎学(作家)、根岸敦生(朝日新聞記者/元相撲担当)、鵜飼克郎(週刊ポスト記者)、荒井太郎(相撲専門誌記者)の4人の相撲通と徹底対論し、八百長批判を批判する(嗤う)本をつくりあげた。八百長を「絶対に許せない」と単純に非難するだけでは、大相撲の豊かな文化的側面を喪失させ、ただのつまらないスポーツに変質させるだけだ。大相撲はルール化、規則化、民主化といった「近代スポーツ」を目指すのではなく、昔の日本社会と昔の日本人の考え方をできるだけ保つべきで、大相撲に備わったファジーで曖昧な世界を美しく残した方がいいのではないか、と筆者は指摘する。そのために、大相撲が持つ豊かなニュアンスを、対談の相手とていねいに語りあっている。八百長絶対悪と煽り立てる単純バカなマスコミとは対極にある。読んでいて快い。大相撲という文化を持つ日本を誇らしく思う。筆者はあとがきで、ノーベル賞日本人作家が受賞記念講演でそれぞれが使ったキーワードが「美しい日本」「曖昧な日本」であったことに気づき、それを合せ持つ大相撲はスゴイ! と書いている。なるほど。この本を読んで、なぜわたしが大相撲を好きなのかよくわかった。それにしても、ひいきの稀勢の里が大関、横綱になる日はいつなんだ。その日は来るのか。(柴田)
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●店員さん。ぶすっとしている人は、何かイヤなことがあったんだろうと思うことにする。もしかしたら身内に不幸があったのかもしれない。コンビニ。棚出しを終え、走ってレジ近くに来たから、並んでいる我々のためにレジを開けてくれるのかと思ったら、裏に行ってしまった。トイレが我慢できなかったんだろうと思うことにする。並んでいたレジの店員さん。大学生風。裏に行くような人もいるのに、一人でさばいて大変だなぁと思っていた。チケット引き取りで、サインを求められた。ポケットを叩いてペンを探し、後ろのカウンターにあったペンを手にとり、キャップをはずす。そして、手元にあったメモ用紙でペン先をふいてダマをとってから手渡してくれた。学生のアルバイトなのか? それとも就職難で? 実はオーナー? 笑顔と明るい声で挨拶してくれたよ。もしこういう人が就職出来ないなら、世の中おかしいよなぁ。とある王将の店員さんたち。とても忙しそうなのに、きちんと接客できる人は名前を覚えてしまう。キビキビ。もっと楽なアルバイト先あるだろうになぁ。ここはボスらしき人がレジと餃子作りをしていて、少し高い位置から全体を見渡している。そしてアルバイト陣を指示。「○番に案内して」と繰り返し言うボス。アルバイトが案内した後に、「返事して。返事がないと聞こえていないと思って何度も言うことになるでしょ」と注意していた。就職した時に、ボスの注意は活きるな〜。 (hammer.mule)