●ここ数年の波乱含みの憂鬱な新年と違って、今年は穏やかに明けた。幼稚で能なしの政権がようやく崩壊し、よくも悪くも経験豊富な政権に代わった。おかげで前政権が引き起こしたようなトンデモ事件が激減し、新聞の第4面記事がおもしろくない。でも、これがまともな政治なんだな。
新聞広告では、オリンピック・パラリンピック東京招致キャンペーンの一頁広告が目立つが、たいした出来ではない。東京招致が実現したらわたしはこうします、と著名人が公約するシリーズだ。原辰徳はグータッチしますといい(して欲しくもないが)、澤穂希は銀座ホコ天でサッカーしちゃいますという(あまりに平凡だ)。もっと気の利いたこと言えんのか。吉田沙保里の「8年後、止められても出ます」だけがいい。
わけがわからないのが、浜田雅功がいう「開会式のどこかのシーンで必ず見切れます」である。「見切れる」とは「テレビ放送や演劇で、本来見えてはいけないものが見えてしまう」ことである。ところが最近は「写真や映像で、フレームに人物などの全体が収まらず一部が切れている=完全に見えていなければいけないものが途中で切れて見えない」という逆の意味も持つようになったようだ。見えるのか、見えないのか。芸人だから、見られないと困るわけで、たぶん本来の意味で使っているのだと思う。でも、やっぱりヘンな表現だ。コピーライター、しっかりしろよ。
キリンの「のどごし 夢のドリーム」ってキャンペーンも変な語感だ。というよりバカな日本語だ。これは無茶でバカげた夢を応募すれば叶えられるかも、という企画らしい。サイトの「スナック夢狩人」のママ(椿鬼奴)が「お客さんはなんか夢あるの?」と聞くから「あんたのヒモになりたい」と応じたら「泣けるわねえ」と言われたが、「苦痛なく死にたい」と書いたときも同じ反応だった。もっとも、こんなのを「夢」とはいわない。(柴田)
http://ko-yaku2020.jp/
TOKYO####2020 楽しい公約
https://nodogoshi-dream.jp/
のどごし 夢のドリーム
●年末年始はバタバタ。終わったはずの仕事の対応に追われる。親戚まわりにこの髪の毛じゃいかんだろうと切りに行ったのは大晦日。いつも行く美容室は休業で、別のお店に飛び込みで入る。大阪の大会で何度も優勝している人らしいのだが、初めての人に私の髪の毛の手入れは難しかったようだ。
お年玉の準備をしておらず、銀行は休業なのでATMで、新札出て〜と祈りながらの引き落とし。年賀状も当然作っておらず、郵便局や金券ショップは閉まっていて、コンビニに行こうとしたら、コンビニ前の外気に晒されているテーブルだけの出店で、女の子二人が寒そうに販売していたので、そこで買うことに。
寒いのに大変ですねと言ってたら、寒いです〜と返事。でもおかげで買えましたと言ったら笑顔を返してくれた。この出店で買うとポケットティッシュをおまけでもらえるようになっていたみたい。笑顔の上におまけ。
年賀状を徹夜で作り、睡眠不足のまま親戚まわり。働くようになってから、元旦は繰り返される日々の一日であって、年による区切りをあまり考えていなかったけど、歳をとればとるほど、大事に考えるようになった。元旦から徹夜に睡眠不足か〜。準備時間をとれるように頭使わないと……。今年一年も修行の年だなぁ。(hammer.mule)