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「写真」ということば ──「写真」の語源について 笠井 享

2014/06/10コメント

「写真」ということば ──「写真」の語源について


笠井 享


はじめに


「写真」ということばは、西洋からフォトグラフィ(Photography)が伝来したときに訳されて命名されたと思っている方々が、一般の方々のみならず写真家や評論家などの専門家にも多くいるのだが、それは大きな誤解である。


1990年代後半から「写真」なる言葉が気になりだして、少しずつ調べるようになった。2006〜2008年頃には、ネット上のいくつか投稿欄などに考察を書き連ねたのだが断片的であった。Facebookを始めたのが2011年だったのだが、その時点で、少し整理してノートとして公開した。以下は、その論考とその後の追記である。


最初のことば ── ダゲリヨティープ


最初のフォトグラフィ=「ダゲレオタイプ」の発明が、1839年(=天保九年:徳川家慶の頃)で、そのわずか10年後の1849年(=嘉永二年:徳川家慶の頃)には、日本に伝来した。長崎経由で薩摩藩(=藩主:島津斉彬の頃)に納品されている。この時この技術は、翻訳することなく『ダゲリヨティープ』とカタカナで記されている文献が残っている。


それよりもはるか前、1700年代半ば、杉田玄白のころには、西洋事情を紹介した書物の中に、『箱の内に硝子の鏡を仕掛け、山水人物をうつし描ける器、かの地にて写真鏡とよべるものあり。』(カメラ・オブスキューラの紹介:
http://bonryu.com/atelier_bonryu/PH_Salon_1.4.html


つまり、フォトグラフィが発明される何百年も前から「写真(鏡)」という日本語(というか漢文)は存在していた。実は、写真ということばは、中国の明帝の時代(1300年代〜)の漢書の中に残っているそうで、おそらく言葉そのものは、もっと古く、もしかすると紀元前から中国にて使われていたかもしれない。ここまで戻ると私も専門外で調査する方法さえ知らない。


「写真」とは似顔絵を意味した


このフォトグラフィ以前の写真とは、(王様や身分の高い)人物の姿をそっくりに描くことを指している。日本でも天皇の写真のことをかつては「御真影」と言ったが、この単語の「真」は人の姿を言い表している。つまり「写真」とは、「真=姿」を「写」したものであり、フォトグラフィ以外でも、水墨画や浮世絵や他の絵図でも肖像画は「写真」だった。


この時代の人物を描いた絵図の裏書きには、「ダレソレの写真」という記載が多々見受けられる。「写真」という言葉は明治時代中期までこの意味でも使われていたようだ。


いろいろな翻訳


さて、伝来した「ダゲリヨティープ」は、その後10年ほどかけて研究された。日本人自身の手によってまともに写った(=まともに現像処理まで成功した)のは1857年(=安政四年:徳川家定の頃)である。そして、このころは、まだフォトグラフィは写真とは訳されておらず、「印影」「直写影」「留影」「撮景」などの言葉が文献に見受けられる。


1862年(=文久二年:徳川家茂の頃)に、長崎の上野彦馬が肖像写真スタジオをオープンしたが、店舗の看板に「一等写真師:上野彦馬」と表記した。同じ時期、江戸の勘定奉行の川路聖謨が記した文献でも「写真鏡」という単語が登場する。


よって、「フォトグラフィ」は、日本伝来当初から約15年くらいの間に、いろいろな呼ばれ方をしたが、結局、定着した最初の言葉としては「写真」だったのであろう。ただし、上野彦馬がここで「写真師」と自称したのも、肖像フォトグラファーという意味ではなく、(光学・化学的手段を使う)肖像画家というほどの意味だったのかも知れない。


時代が求めたもの


何しろ、幕末のこの時代、数多くの武士たちが維新の戦争に行った。彼らはこぞって自分の姿をフォトグラフィに残そうとしたにちがいない。多くは下級武士であり、肖像画を描いてもらうほどの録はなかったはずだ。


他の国では、登場したフォトグラフィを宗教や政治のプロパガンダとして活用すること、あるいは、画家やその他の芸術家のツールのひとつとして活用することが主であったが、日本は、維新の最中にあって、少しだけ事情が違ったようだ。


ちなみに、中国ではフォトグラフィは「照片」と訳されている。台湾はここ十数年の期間で、「照片」から「写真」へとフォトグラフィの表記が変化しているそうだ。主として日本文化の、とりわけ若者に人気の日本のタレントの「×××写真集」(×××はタレントの名前)が影響を与えているとのことである。


◎追記 その1


私は、若い頃6年間ほど海外に住んでいた。職業は写真や印刷に関連する業界だったので、周辺には写真家や評論家もいた。


そこではフォトグラフィはフォトグラフィであり、Taking truth(真実を写す)とか、あるいは、もう少し哲学的にTaking essential(本質を写す)というような、日本の写真のような概念でフォトグラフィを語るシーンに一度も出くわしたことはない。


フォト(=光)・グラフィ(=絵図)はフォトグラフィなのであり他意はないのである。ダゲレオタイプの発明の一年後、英国ではタルボットが別の方式の写真を発明したが、彼は、その技術をフォトジェニック・ドローイング(=光的描画とでも訳しておきます)と呼んだ。ここでも「まことを写す」という概念はない。


油絵がオイルペインティングと呼ばれるのと同じ延長に、フォトジェニックドローイングやフォトグラフィということばの展開がある。フォトの代わりにライト(光)を使って、ライトペインティングでもぜんぜん構わないわけだ。


日本でフォトグラフィが写真と呼ばれるようになったのは、不幸なことなのかもしれない。「写真が写すのは真実」などという大それたものではなく、単純な「光学的事象」だけであり、その写っている事象に撮影者が意図を託すのが写真的表現なのである。その状態をもって、真実を写すと解釈するのは飛躍しすぎのはず。そもそも「真実」と「光学的事象」の間の違いについて誰もきっちりと語り、定義していない。


フォトグラフィが写真と呼ばれるのではなく、最初から「光画」とか、「写影」・「写景」とか呼ばれていたら、誰も「まことを写す」などとは考えず、あるいは、縛られずに、光学的事象の描写能力を借りて、撮影者の意図を表現すること、自由奔放に自分が視た世界・光景を表現することだけに集中できたのに〜と思う。


ところで、明治末期から大正中期に、写真と俳句を重合するような表現や方法論が流行った時期がある。俳句は、その五七五の句の裏にたいへん奥行きや広がりのある光景を表現できる。


写真で「真実を写す」というとき、日本人は、写真に俳句的な表現力を期待しているのかもしれない。すなわち、写っているものごとの向こう側にある、写っていないけれども、読み手が写っていると感じることのできることがら、それが真実なんだと〜。


同じ文化、同じ風土、同じ民族、同じ言語、同じ価値観を持つ日本人だからこその写真の見方かもしれない。


◎追記 その2


「真実の真」という意味において「まことを写す」というように写真を解釈し始めたのは、写真批評・写真論が盛んになった大正時代ではないか? と、私は仮説をたてている。この説の探索は芸術史や写真史の研究者のよい研究テーマかもしれない。


「写真」は、そのことばがフォトグラフィのことを指し示すようになったころは、既述のように別の意味でも写真という元祖のことばがあったわけだから、多くの人々にとっては「精密描写似顔絵」という程度の意味合いだったのであろう。


そもそも、フォト+グラフィであるから「照図」とか「光画」と訳されていれば、写真は真を写すという解釈を土台にした、表現範囲の狭い日本の写真の傾向は生まれなかったのかもしれない。それほどまでに、写真ということばは日本写真界にある意味、悪しき影響を与えてきたとも言えそうだ。


欧米のフォトグラフィック表現へのおおらかさや寛大さ、ゼラチンシルバープリントなどを絵画同様に敬ってくれる文化などは、フォトグラフィなることばが、真を写すというような呪縛に捕らわれていないからだと思うのは私だけなのだろうか。


一方で、デジタル写真は? というと、その登場によって、「真を写す」という呪縛から解放するという効果が生まれている。何しろ、ダイアルひとつで、ファンタジックアートやらデイドリーム、ラフモノクロームなどなど、「マコト」の向こう側にある心象光景を写す(いやこの場合は「映す」か?)能力を得たのである。


このへんのこと、すなわち、フォトグラフィとデジタルフォトグラフィの比較表言論については、またのチャンスに論じてみたいものである。


◎追記 その3


「写真」の語源について、その後、文献をあたっていると、下記の写真論の中に、似たような記述があることを発見した。


「日本芸術写真史:浮世絵からデジカメまで」西村智弘著、美学出版、2008年10月発行 ISBN978-4-902078-16-9 3,150円(3,000円+税)
http://nishimuratomohiro.web.fc2.com/nihongeijutu.html


470ページ余の大作。「写真」なる言葉に関する関連ページは各所にある。特に、54ページの記述は、同様のアプローチで私の「写真」ということばへの考察を補完してくださっている部分だ(多少、見解は違うようだが)。


写真前夜からデジカメ登場までの180年余について、かなり深く述べている。技術論や道具論ではなく表現論を基盤にしていて、私の好きな切り口だ。


「写真的思考」飯沢耕太郎著、河出ブックス、2009年発行
ISBN978-4-309-62408-2、¥1200
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309624082/


この本では、第二章の第二節で、「『写真』と『フォトグラフィ』」と題してフォトグラフィが日本に伝来したころの、日本語としての呼び名についての考察などは、私が教科書として参照している写真史の各書の同じベースであるが故に、ほぼ同じ展開といなっている。


特にフォトグラフィ渡来以前の「写真」という言葉が当時(江戸時代中期)にどのような意味づけ・位置づけであったかについて司馬江漢(しばこうかんの「西洋画談」を引用して述べているあたりはたいへん興味深い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/司馬江漢


◎追記 その4


この考察を私が私的に展開しはじめたのは、1990年代初頭であった。というのも、当時私は玄光社の季刊Mook「SUPER DESIGNING」誌のレギュラーライターであって、その記事中で「デジタル写真」に対比する形で、いわゆる銀塩写真感光材料を使った従来からの写真手法を、「銀塩写真」と呼んで区分けする必要が生じたからだ。


「銀塩」という言葉は、「銀塩写真」と呼ぶ時期より少し早い時代から技術用語として存在しているのだが、「デジタル写真」に対して「銀塩写真」と呼ぶようにしたのは私自身だと自認していて、そこにはそれなりの理由がある。


そのことについては、また別の機会に述べるとして、かくして「デジタル写真」と呼ぶときに「写真」という言葉をこのまま使ってゆくべきなのかどうかを、私なりに考察しはじめ、結果として、そもそもフォトグラフィとは似ても似つかぬ訳語としての「写真」の語源が気になってしまった。


同誌はまもなく休刊したのだが、私自身は「写真」なる「怪語」を調べはじめて今日にいたっている。


【かさいあきら】bonjour_ia@infoarts.jp


1990年代にデジタル画像処理の各種解説書などを執筆し、94年に設立したインフォーツ株式会社にて、デジタル写真関連メーカーの製品開発支援/大手印刷需用社内のコンピュータ化/フォトアルバムサービスシステムの開発などのコンサルタント事業を展開して来た。


現在では、一般撮影も積極的にこなしているが、中でも自作品をていねいにインクジェットプリンターを活用して、ファインアートプリントに仕上げる創作活動にウエイトを置いている。


また、つい最近に「笠井アキラのデジタル写真塾」を京都市にて展開しはじめた。現在はテストラン的な活動だが、今秋からはプリントを仕上げて作家的作品作りをめざす、写真家向けの本格的ワークショップなどを計画している。

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