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カテゴリ ‘わが逃走/齋藤浩’ のアーカイブ

齋藤 浩


治ったー! 直ったー! というべきか。ぶっ壊れたオリンパス・ペンSが修理から戻ってきたのです。


このカメラは私の“初めてカメラ”でして、幼稚園の頃から父に借りて使っていた。数年前実家に帰った際発見し、久々に使ってみたところ、ファインダーはぼやけているし、シャッターも錆びていたけど一応しっかり写る。


ネガフィルムで撮影すると、なんともいえないレトロな写真が撮れる。21世紀の東京も、昭和っぽく写るのだ。後から気づいたのだが、昭和っぽく写る理由は単にレンズがかびてただけのことだったが。ハーフサイズ版(通常の35ミリ版の半分のサイズ)だから、36枚撮りで72枚も撮れる。それゆえデジカメ感覚でバシャバシャいける。それはそれは楽しいカメラなのだ。


さて、冬のある日。私は風邪をひいて熱を出してしまい、もうろうとしながら窓の外を見ると、なんと外は雪ではないか! これは是非ともペンで記録せねば!と思い立ってあわてて外に飛び出したところ、何をどうしたことかうっかり手がすべって大切なペンをコンクリートの地面に落っことしてしまったのです。


カメラを落としたことは、後にも先にもこれっきり。まさか人生でカメラを落とす日がくるとはね。病気なんだから素直に寝てればいいものを。ああ、取り返しのつかないことをしてしまった…。カメラを見ると、ちょうど底面後側の角が2カ所へこんでいる。



機械的には問題なく作動はするようだが、落としたときに歪んだ影響か光が漏れてしまうらしく、中途半端にギラギラした露出オーバーっぽいへんちくりんな写真が撮れてしまう。


という訳で、熱出した日を境にペン熱は冷め、一応修理をしてくれる店は探し出したものの持って行く気力もなくし、底面のへこみを見ると人生そのものが嫌になって死にたくなるので、防湿庫の奥深くに見えないようにしまっちゃったのでした。


それから幾年かの歳月が過ぎ、先日カメラの整理をしていると、おお、あのときぶっ壊したペンが。心の傷もだいぶ癒えてきたので再度修理してくれそうな店を調べたところ、2つ隣の駅前に良さそうな店があるではないか!


という訳で『Tカメラサービス』に持ち込んでみた。駅を降りて商店街を進み、神社を左手にみながらさらに歩く。ほんとにこの道でいいの? と少し不安になりかけた頃、黄色い看板が見えてきた。


店内を見ると、1960〜70年代のものを中心に三方の壁がカメラで埋め尽くされている。すげえ! 引き戸を開け、店内に入ると初老の男性が「今日は、どうされましたか」的なことを聞く。おお、まるで小児科の先生のようだ。


「あのー。ぼくの大切なオリンパス・ペンが〜」
「ああ、ペンね、見せてごらんなさい。ほほう、きれいに使ってるねえ」
「ところが間抜けなことに落っことしてしまったのです」
「ほほう、なるほど。ショック品、と。」
“先生”は必要事項をカルテに書き込みながら細部をチェックしているようだ。


そして、まるで「お薬は一応5日分出しておきますので、とくに手洗い、うがいを忘れずにね」とでも言うがごとく「2週間くらいで直ると思いますよ、では、こちらに連絡先を書いてくださいね。たぶん1万5,000円くらいかな」と仰った。残念なことに保険は効かない。


ふと横を見ると、そこにもオリンパス・ペンSが値札付きで置かれている。しかも人気のf2.8バージョンが1万3,800円。どうやらここでは修理を終えたカメラの販売もしているらしい。「あ、それね。修理済みですから安心ですよ。しかもここまで状態のいいペンはなかなかないですね」“先生”は言う。


うーむ、修理するよりも安く手に入るのか。しかもオレのはf3.5だからなー。買った方が安いというのはなんとも…と一瞬戸惑ったものの、脳裏に幼少の頃のペンとの思い出が走馬灯のように浮かんでは消え浮かんでは消え…。買いたい気持ちをぐぐっと抑えて「いや、修理をお願いします」。「ふふふ、みなさんそうおっしゃいますよ」。そうなんだよね。いわゆる愛着ってやつだ。デジカメにはこういうのってなかなかないですね。


8日後『Tカメラサービス』から電話があり、修理ができたという。意外に早かった。さっそく受け取りに隣の隣の駅まで向かった。“先生”からペンSを受け取り、ファインダーを覗くと「うわっ」と思わず声が出ちゃうほどクリア。ペンのファインダーってこんなに見やすかったんだ。心なしか持った感じも若々しい。ちゃんと動くなら底面のへこみも気にならない、わけでもないが、まあいい。


“先生”から修理項目の詳細を聞く。「モルトプレーン、張り替えました。レンズとファインダーは清掃してあります。シャッターも点検済みです。その他の部品もできる限り調整しました」とのこと。


うーん、満足だ。凹みの跡はそのまんまだけど、歪みも直ったことだしきっとスゲー美しい写真が撮れるに違いない! とはいえ、ああ、これで凹みさえなければな…。と思った私の目に、再びアレが目に入ってきた。修理済みのオリンパス・ペンf2.8「1万3800円」である。こいつのフタをそのまま付け替えれば…!


結局誘惑には勝てず、2台になったオリンパス・ペンSとともに家路についたのであった。



ちなみにこのオリンパス・ペンSというカメラは、フィルムの装填の際、蓋を開くのではなく蓋(=裏蓋底面一体型の部品)を外すのだ。



なので、同じカメラであれば差し替えが可能なはずなのだ。で、家に帰り早速蓋を交換してみたら、おお、ぴったり。これでなにもかも元通りだ。なのだが、しばらく眺めているとどうも違和感を感じてしまう。


事情を知らない第三者が客観的に見るのであれば、まったく以て美しいオリンパス・ペンSである。しかし、落っことして修理に出して蓋を交換した張本人から見れば、やはり他人のパンツ、しかも中古のパンツをはいてるようで無性に気持ち悪い。


結局蓋は元通りに戻した。これはこれでまあ良しとする。カメラも直ったので心にもゆとりができたのであろうか。フィルムも用意したことだし、明日から早速撮影してみようと思う。うーん、楽しみだー。つづく。


と、本題は次回へ持ち越す訳ですが、もう少し語らせてください。この商品はソニー・ウォークマンやホンダ・スーパーカブと並んで賞賛される『日本の独創的工業製品』なのであります。


何がスゴイかといえば、ハーフサイズというアイデアの下、一切妥協のない優れたレンズと、工夫をこらし極限まで小さくシンプルにまとめあげたメカニズム─これらを高次元でバランスさせ、なおかつ低価格で販売可能にした設計がスゴイのだ。


それまで、どうしても舶来品をありがたく思ってしまっていた日本人はもちろん、世界中にメイド・イン・ジャパンというブランド(だと思う!)を信頼させた功績はとてつもなく大きい。設計とデザインは当時入社したての新人・米谷美久氏。やはり“伝説”になる商品からは作り手の顔がきちんと見えるのだ。


昨日、デロンギのコーヒーメーカーが突然壊れた。いつものように水を入れたらいきなり下から漏れてきて、床中水浸しだ。買ってから一年ちょっと。その前には、ハーマンミラーのアーロンチェアの軸が、突然ボキッという音とともに折れた。これも買ってから一年くらい。


普通に使っていてこれだ。ブランドはいずれも一流だが、どちらもメイド・イン・チャイナ。別に中国の悪口を言うつもりはないけど、一流ブランドならどこで製造しようが一定のクオリティはクリアしてもらいたいところ。メイド・イン・ジャパンだって、この信頼がいつまで続くか不安になる。


「不良品は新品と交換すればいい」という考えがあるのであれば、それは作り手の思想として問題だ。ここらで我々はオリンパス・ペンの伝説から、『メイド・イン・ジャパン』を築き上げた姿勢と情熱を学び直すべきかもしれない。


オススメの本を紹介します。
朝日ソノラマ刊 米谷美久著「オリンパス・ペン」の挑戦(絶版)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4257120363/dgcrcom-22/


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

齋藤 浩


こんにちは。先日、訳あって1泊2日で北海道は旭川・美瑛・富良野くんだりまで行ってきました。


1日目は快晴。2日目は土砂降り。初日に目的は済ませていたので、2日目はフリー!! こうなると普通は旭山動物園に行ったり、美しい丘陵地帯を観光したりするのだが、まあ雨だしね。


それよりも、私にはどうしても行きたい場所があった。函館本線旧線神居古潭駅跡である。私の主だった目的は、そこに静態保存された3両の蒸気機関車をひと目見ることだったが、同行した極親しい間柄の年上の女性Aさんの同意を得るためにいろいろと調べてみたところ、歴史的にも地形的にも興味深い土地だということを知った。まあ地名からしてそれっぽいのだが。ちなみに神居古潭と書いて「カムイコタン」と読みます。アイヌ語の『神の住む地』に漢字をあてたもの。


さて。5年前に北海道旅行したときの地図をたよりに(カーナビは運転させられてるみたいで嫌いなのだ)、レンタカーにて美瑛から神居古潭へ向かう。途中旭川市街地にて『M』の生姜ラーメンを食す。初めて食べたが、たぶん昔ながらの味。
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きっとその昔、冬のある日に蒸気機関車牽引の列車で旭川に到着した旅人も、この繊細で優しい味わいで一息ついたのだろう。ラーメン=オレ的に『劣情の食べ物』なのにもかかわらず、罪悪感を感じずにスープまで飲み干せた。ほっとする味。安心感。そして味はもちろん、店の佇まいからして昭和なのである。のれん、テーブル、椅子、全てが北のラーメンを演出する。是非とも冬にまた来たい。


で、腹も満たされ国道12号に乗ってしまえば、20分もかからずにその地に到着する。トンネルの手前から側道に入り、駐車場に車を停める。外は雨。誰もいない。目の前は石狩川。今日も一昨日も雨なので、濁流の急流である。なんかコワイ。


そしてその濁流の急流にかかる吊り橋を渡る。下を見ると、川面にたくさんの渦が見える。なんでも水深70メートルのところもあるそうだ。コワイ。吊り橋より上流を臨む。コワイ。
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やはりここには神様が居るなあ。ちなみにカムイコタンと呼ばれる地は他にもいくつかあり、いずれも人を近寄らせないような場所だそうな。ここ旭川の神居古潭周辺には、縄文時代のストーンサークルや竪穴式住居の遺跡があるので、大昔から神を感じさせる力があったってことなのだろう。


また地学的にも有名だそうで、北海道を東と西に分断している『構造帯』ってやつがここを通ってるらしい。で、これをはさんであっち側とこっち側とでは全く地質が異なるそうな。ちなみにあっち側が火成岩と堆積岩からなる日高山帯、こっち側が蛇紋岩と変成岩からなる神居古潭構造帯。なのかな?


とかいろいろ考えてみるものの、興味の対象はあくまでも蒸気機関車である。橋を渡り、階段を上る。おそらく、鉄道橋を支える橋脚だったであろうレンガ造りの構造物の向こうに、雨にぬれ立つ蒸気機関車3両が、ひっそりと姿を現した。


1969年、函館本線の複線電化に伴う工事でルートが変更され、この渓谷に沿った旧線は廃止された。その廃止された線路を通って、廃車された機関車たちがこの地に運び込まれたらしい。


静かである。もはや二度と動くこともないであろう巨体が、本線から分断されたレールの上で無言でたたずむ姿は、なんとももの悲しく、なんとも美しかったのである。墓標のようである。かつてある彫刻家が自分の墓石を彫ろうと巨岩にノミを持って対峙したが、自然のままの岩のもつ力にはかなわないと悟ったという話を聞いたことがある。3両の黒い鉄の塊からは、生き様とか悟りとか、そんなことばが想起された。
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この3両の美しさ、力強さはの源は、やはりこの地にあると言っていいだろう。最後まで働いた終焉の地で、北海道の自然に見守られながら自ら墓石となれたのだ。これは幸せな人生といえるかもしれない。という訳で、彼らの足跡を紹介しよう。


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3両の中ではいちばん長生きした。大正時代の名機と誉れ高い貨物用蒸気機関車9600形。1913年製造。名寄区にて1969年10月廃車。奇しくも私の生まれた日と(ほぼ)時を同じくして廃車になってる。北海道にて蒸気機関車が全廃されたのが1975年だから、このときから6年もの間、蒸気機関車というものたちは生きながらえた訳だ。このときの状態で一路線でいいから動態保存路線を残せたらよかったのになあ。なんていつも思う。


ところで、蒸気機関車というものは同じ形式でも使われ方によってさまざまなバリエーションがあったり、配属地による改造などの影響で個体差が大きい。中でも北の大地を疾走したであろう証となるのが、スノウプラウ。いわゆる車両前部に装着されるスカート状の“雪かき装置”だ。


私はこの重装備な感じというか、取り付けた際の線路と車両の間の隙のなさにグッときてしまう体質なのだ。3歳頃から今に至るまでずっとそう。で、この29638にもこの車両専用のものが装着されている。北海道に転属になって、現場合わせで取り付けたと思われる。おそらくピストン先端部が干渉しちゃうので切り欠かれたのだろう、手仕事っぽい味のある上端部がイカスぜ。
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C57201、名機C57のラストナンバー。全部で201両製造されたC57形蒸気機関車の、201番目に製造された方がこちら。
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“製造された方”などと言ってしまうが、なんか蒸気機関車ってモノ扱いしずらいのだ。人っぽく感じてしまう。やはりあの息づいてる感じがそう思わせるのであろうか。


3両の中ではただひとり戦後生まれ。1947年製造。旭川区にて1969年10月廃車。こちらももちろんスノウプラウ装備。ヘッドライト脇に補助灯、さらに重油併燃装置付き。C57を『そのスマートで美しい姿から“貴婦人”と呼ばれている』とかいろんなとこで書かれているけど、オレはこいつを“貴婦人”と呼んでる奴を見たことがない。


どうでもいいけど、90年代初頭、ブームになった“スウォッチ”の紹介で、『“プラスチックの宝石”と呼ばれている』という文章を読んだことがあるが、オレはそんなこと言ってる奴に会ったことがない。あ、話がそれた。


で、オレ的に“貴婦人”なんて名で呼びたくないC57、中でもこの201号機は普通のC57とはひと味違うのだ。数少ない“四次型”と呼ばれるタイプなのだ! 写真では見たことがあったが、本物の四次型C57、しかもラストナンバーに出会えたことにこの旅の真の意義を感じてしまうオレさ。何言ってるかわかんないだろ?いいんだ、ほっといてくれ。


まあ、わかりやすく言えば『やまぐち号』で有名な、トップナンバーC571とは見た目がかなり違うのだ。主な特徴はカバーで覆われた給水暖メ器、前端部の切り欠きの深いデフレクタ、でっぱりのあるランボードなど。なんて全然わかりやすくないですね。
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要は異端なのだ。異端の美とでも言おうか。それこそ“貴婦人”とか言われてるんだか知らないが、C57のもつスマートで美しいポイントが全て荒っぽい印象に置き換えられているというか。


C57であってそうでない…訳じゃなく、でもC57だという、まるで印刷のずれた切手にプレミアがつくような、しかもそれを見ているうちにオリジナルよりも美しく感じてしまうような、量産型ザクよりも旧型ザクに魅力を感じてしまうような異端を愛でる背徳感、ライカが欲しいとか言いながらベッサを5台も買ってしまう愚かさ。そんな自分のダメなところを映し出しつつも最後は肯定してしまうという甘えた人生振り返って、ここに反省するのでした。ありがとう、C57201。


D516、日本で最も有名な蒸気機関車、デゴイチことD51形の6号機。
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1936年製造。北見区にて1969年10月廃車。1115両も製造されたD51だが、初期の95両は製造当時世界的なブームだった、流線型の影響をもつデザインになっている。このD516もその部類で、煙突から砂箱までをひとつの曲線でつないだ通称“なめくじドーム”をもつタイプだ。この日は雨だったので、なめくじがより一層なめくじにみえる。
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こんな中途半端な“半流線型”じゃなくて、ドイツやイギリスみたいに完璧な流線型にすればよかったのに! と思わなくもないが、この程度のささやかな意匠だからこそ、その姿を今に保つことができたのかもしれない。ちなみに製造時、流線型でデビューしたC55形蒸気機関車は、整備がめんどうという理由で後年全て一般的な形状に改造されてしまっている。


雨の中、一人でなめくじドームをながめながら、第一次大戦と第二次大戦の間の、一瞬のモダニズムの輝きを、まるで法隆寺の柱からギリシアの神殿を見るように思い描いてみたのであった。


という訳で、狭く深く一方的な話でした。今回の写真(ラーメン以外)は全てZeiss Ikon+Biogon2/35mmで撮影しています。フィルムはプロビア100。やはりフィルムはいいね。あるうちに使おう。んではまた。


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/
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齋藤 浩


私のMacに『さいとうひろし』と打ち込んだら再逃避路師と変換された。まさに『わが逃走』。みなさんこんにちは、齋藤浩です。


さて今回は、いつも通りまったく反応のなかった散歩レポートの続きです。茗荷谷界隈を紹介します。


茗荷「谷」ってくらいだから、その名の通り谷である。駅周辺から線路に沿って後楽園方面へ歩く。国道からちょっと細い道へ入ると、風情のある曲がりくねった坂道がつづくのである。


丸ノ内線は地下鉄と名乗りつつもたまに地上に顔を出し、たとえばお茶の水における神田川を渡るシーンや四谷駅侵入シーンなど、いずれもフォトジェニックな情景な訳だが、ここ茗荷谷も例外ではない。


カーブミラーにお稲荷さんの映る高架を渡ったり、



美しい階段のある築堤を走り抜けたり、



さらには名階段『庚申坂』のバックに、一条のアクセントを残してくれたりするのだ。



この庚申坂も実にダイナミックで美しい階段だ。階段の途中に小さな階段があったりして、実に微笑ましい。



と、壁面に謎の配線跡を発見。おそらく階段を灯す照明があったのだろう。現在は味気ないごく普通の街灯が向かい側に立っているのだが、かつてここには帝都東京の名に恥じないモダンなデザ
インのものが取り付けられていたに違いない(と思う)。美しいアールデコ調の照明が設置された姿を想像してみる。



庚申坂を登ったところで国道を茗荷谷駅方面へ戻り、こんどは反対側の湯立坂を下る。ゆるやかにカーブする美しいこの坂はタモリ氏も絶賛。ただ残念なことに道に面して高層マンションが建つらしく、現在工事中であった。


私の場合、でかい建物が建ってくると高低差の感覚が狂う。景観が損なわれるのはもちろんだが、どこが山でどこから谷になっているか的なことを、感覚的に把握しづらくなるのは寂しいなあ。


坂下のロシア料理屋にてピロシキとボルシチ(旨い)を食べた後、千川通りを渡ってすぐの東京大学総合研究博物館小石川分館へ向かう。


今回初めて訪れたのだが、展示もよければ建築もイイ。ちなみに明治9年築の美しい木造建築だ。東大の敷地内にあったものを40年前に移築した後、博物館としてリフォームされたらしい。この移築っぷりとリフォームっぷりが実に良い。当時の良さを見事に残しつつ、博物館として無理なく機能している。



建物は移築されたり修復されたりすると本物っぽさが失われ、レプリカっぽく見えてしまうことが多い。門司港レトロ地区がそんな感じだった。本物なのに、ディズニーランドの建物みたいに見えてしまう。


それに対し、ここは建物の持つ匂いとか、息づかいのようなものがきちんと感じられた。とくに内装がイイ。手を入れるところはきちんと手を入れて、雰囲気を残すべきところはきっちりおさえている。


さて現在ここでは『驚異の部屋展』なる展示が開催中なのだが、これがまたすごい! いわゆる学術標本といわれるモノ、たとえば建築模型や生物の骨格、機械の部品から何だかわかんないモノまで、整然と美しく並んでいる。





しかも素晴らしいのは、それらに一切説明書きがないのだ。ここまで潔いと見る方にしてみれば「これは何に使う道具なんだろう?」とか「これって三葉虫の化石? だよね??」みたいなナゾ解きを楽しめるのだ。解けないナゾも多いけどね。


こういう空間にいるだけで、アイデアがどんどん出てくるから不思議だ。これからデザインのネタに困ったらここに来ようと本気で思う。


ちなみにこの『驚異の部屋展』なるものは常設展で、公開はまだしばらく続くらしい。みなさんも是非。休館日は月火水。入場無料。といったところで、今回は短いけどここらへんで。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/exhibition/2006chamber.html


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/


1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poo graphics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続
けています。(【日刊デジタルクリエイターズ】 No.2839 2010/04/22.Thu.)

齋藤 浩


こんにちは。散歩好きの齋藤です。いい感じに暖かくなってきた今日この頃でございます。こんな日は美しい花を愛でるのもいいのですが、美しい構造物を鑑賞するのもまた一興。


てな訳で、先日、護国寺〜茗荷谷〜本郷と散歩してきまして、今日は護国寺近辺の魅力を語ろうと思います。


前も書いたかと思うのですが、私は子供の頃、一般的に「美しい」とされているものをそのまましいと思うことに抵抗がありました。例えば「花は美しい」。だから花を描きましょう、みたいな考えにものすごい抵抗を感じていたのです。それよりも、もっと普通にそのへんに落ちてる石ころを拾ってきて、美しいアングルを探す方がよっぽど楽しいじゃないか!


まあそんなひねくれ幼児の私は、道ばたに落ちてる釘やらボルトやら木の根っこ等を収集し、気に入ったものを棚に飾ったり祖父・三郎にプレゼントしたりしていた訳ですが、まさかそれが40過ぎても続いているとはね。カメラという文明の利器を手にしたので、さすがに最近はあまり拾ったりはしないけど、同じような感覚でシャッターを切っているような気がするのです。


さて、今回の散歩のプランニングに大変重宝した文献は、以下の3冊です。
『タモリのTOKYO坂道美学入門』講談社 2004
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4063527239/dgcrcom-22/
『東京の階段─都市の「異空間」階段の楽しみ方』日本文芸社 2007
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4537255455/dgcrcom-22/
『東京ぶらり暗渠探検』洋泉社 2010
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/486248509X/dgcrcom-22/
いずれも超マニアック視点の東京案内と言えましょう。


こういう狭く深い本が普通に出版される世の中って、さすが21世紀だなーと思う。ネット社会ならではのマーケティングってやつ? 昨今の工場や廃墟ブームにしてもそうですが、まさかこんな偏った趣味の人がこうもたくさんいたとは! と心強くもあり、気味悪くも! あります。


かく言う私もその一人であります。こういった本のおかげで、普通に暮らしてる東京が知らない国のようにも見えてきます。まさに、拾ってきた石ころの美しいアングルを探す旅が毎日味わえるのです。


しかし、東京は新陳代謝の激しい都市です。本に出ていたのでいつか行こうと思っているうちに、土地は削られタワーマンションが建ち、前日の面影すらなくなることもよくあります。なので、思い立ったら出かけちゃうことをおすすめします。


某月某日午前11時、同じような趣味の若者及びシジュー代計7人が揃い、だらだらと出発。お茶の水女子大の裏手から豊島ヶ岡御陵の東を北上する。


このあたりは昔、水窪川という川が流れていた。いまは暗渠化されているその川に沿って歩くと、ちょうど尾根に相当するところが春日通で、そこから見下ろした谷を歩いているのがよくわかる。


という訳で、この周辺には美しい坂道や階段道がたくさんあるのだ。傾斜地は平地と違って区画整理がされにくい。なので、昔ながらの風情のある景色や建物が鑑賞できることが多い。とくにここ大塚5丁目あたりは、いわゆるワビサビ密集地と言えましょう。


なお、今回ここで紹介する階段は全て春日通から水窪川暗渠にかけての傾斜上にある。さっそく階段その1発見。



おそらく数年前に改修工事が成されたらしく、階段そのものは白く新しいコンクリートになっている。


しかし、周囲の家並みは大変風情があり、とくに頂上から見下ろす風景は古き良き昭和の東京だ。



数年前までは奥の駐車場にも昭和的木造建築が建っていたのだろうか。新陳代謝の激しい東京という街において、10年前の景色を想像することはなかなか難しいが、このあたりはまだそういった楽しみも残されている。


さらに進むと、そのテの本でも大きく取り上げられている名階段がある。細い路地の突き当たりから、突然扇型に広がる急階段がそれだ。



この階段の美しさを伝えるのは難しい。複雑な構造ゆえベストなポジションがみつからず、撮影しても平面的に見えてしまう場合が多いし、その立体的な美しさを伝えたくても、カメラのフレームで切り取った途端、ツマラナイ縞模様になってしまうのだ。


そんな訳で、ベストな一枚を撮影すべく、季節や時間帯を変えてこれからも見に行きたいと思っている。なお、この場所だけでなく、ここら一帯は限りなく私道に近い感じの住宅密集地である。訪れる際は、近隣住民の方の迷惑にならないよう、充分気をつけたい。


さらに暗渠を進むと、ほどよく曲がりくねった階段がある。頂上から見下ろせば、なんとなく尾道の風景をイメージしてしまう。



屋根の向こうに尾道水道を幻視しつつ野良猫と戯れる。と、階段の途中に素敵な構造物を発見。



どうやらコンクリート塀のちょうど真下に下水の蓋がきちゃったのかな? 蓋を機能させつつ、排水との両立を図った結果がこの仕組みなのだろう。私はこういった、現場合わせ的ささやかな工夫が大好きなのである。なんでもかんでもユニット化され、同じ形の家がコピペされたような新興住宅地にはこのような物件はまず存在しない。


気にせず通り過ぎてしまいそうな、これらのちょっとした“でっぱり”なども、構造から機能を読み解く楽しさを与えてくれる先生的存在なのだ。


そして、次に現れるのが昭和な木造建築にはさまれたこの階段。



うーん、美しい。とくに道路と接するところで幅がせまくなってるところになんともいえない美を感じる。


このような構造になったには、おそらくちゃんとした理由があるのだ。この日は駆け足ツアーだったので、再び訪れたときにはその理由を探ってみたい。ちなみにこの近所のいい感じの壁や塀を切り取るような感覚で撮影すると、抽象画のような絵ができる。



このような“絵”を発見する楽しさも散歩の楽しみである。水窪川の暗渠が左にくいっと曲がるあたりで、驚くほど急な階段を発見。



住宅の玄関に通じる階段だと思うのだが、とにかくハシゴ並みに急なのだ。ここまで来るともはや『機能する芸術』。そのインパクトたるや、ヘンリー・ムーアやイサム・ノグチの彫刻作品のパワーを越えると言っても過言ではない。


モノを創り出す際、「芸術を作る」と思った時点で芸術には至らぬことが決定付けられるのかもしれない。真の芸術とは無意識の、無作為の中でつくられた作為なのではないかと思うのである。


というところで、今回はこれにて。今後タイミングを見つつ、茗荷谷編、本郷編を書いていこうと思います。んではみなさま、また次回。(日刊デジクリNo.2829 2010/04/08)


【さいとう・ひろし】saito@tongpoographics.jp
http://tongpoographics.jp/
1969年生まれ。小学生のときYMOの音楽に衝撃をうけ、音楽で彼らを超えられないと悟り、デザイナーをめざす。1999年tong-poographics設立。グラフィックデザイナーとして、地道に仕事を続けています。

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