●室谷克実「悪韓論」を読む(新潮新書、2013)。筆者は1980年から85年まで時事通信社の特派員としてソウルで暮らしたこともある、韓国通のジャーナリストだ。この本はタイトル通り「悪しき韓国について論じた書」である。この本を読むと、韓国とはやはり、日本にとって(おそらく大多数の国々にとっても)「悪なる国」だと結論せざるを得ない。
30年以上年前に、韓国の広告業界の取材(自費!)でソウルに一週間滞在して、けっこうこの国好きかもと思っていたわたしだったが、その後どんどん悪辣なことばかり日本に仕掛けてくるこの国が嫌いになり、もはや敵国といっていいくらいだ。2000年にデジタル部活で北京に行ったとき、けっこうこの国好きかもと思っていたわたしだったが……以下同文。
日本ではいまだに「韓国を見習うべきだ」「サムスンに学べ」なんて浅はかな声も聞こえるが、「とんでもない。日本は、そんな国になってはいけない」という思いから真の韓国事情を伝えることが、この本の一貫したテーマだ。筆者は「事実は事実だ。事実を書くのに遠慮してはいけない」というスタンスを貫いている。また偏見や独断ではないことを示すために、韓国の公式統計やマスコミ報道を主たる典拠にしている。
格差王国の身分制度、就職浪人大国の悲惨、短期退職者が溢れる国に匠はいない、長時間労働大国の怠慢、嘘吐き大国は《外華内貧》で老人自殺大国、詐欺大国の上に訴訟大国、高級マンションはヤミ金大国の象徴、お笑い欺術大国だから原発が恐ろしい、恩赦大国に腐臭なき人はいるのか、韓国型生活様式が内包する売買春天国………こんな章立てになっちゃうくらい悪い話ばかりである。現実の韓国とは、文明の終りを思わすような悪辣な思考と行動、風習、風俗が闊歩する社会だという。
韓国政府が喧伝する「稼働率世界最高、安全な韓国原発」は大ウソで、国産化率が高くなるほど事故が発生している。原発に品質保証書を偽造した不正部品を納入して、運用会社も業者も大もうけして喜ぶような国だ。韓国では原発の核心部品を製造できない。日本で展開されている「原発ゼロ」運動は、朝鮮半島グループが介在している。運動そのものが、実は日本の原発専門家、技術者を半島に招き入れるという目的があるのではないかという推察。ありそうな話である。
どんな侮蔑行動をしても「遺憾の意」の表明だけで終わる。韓国人にとって「見下して当然」「強く出なければ損」の存在でしかない日本。「とりあえず話し合いを」という良識はもう引っ込めよう。隣国と仲が良くないのは世界標準だ。話も気持ちも通じない。しかし、通じなくていいではないか。
「本書の内容に異義があるという御方には、わたしの典拠より高い水準のソーズを基にして『良韓論』あるいは『善韓論』を執筆されるよう、お勧めする。」と筆者。はい、そういう本があるなら読んでみますぞ。 (柴田)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106105160/dgcrcom-22/
室谷克実「悪韓論」
●続き。自分に余裕がなくなると、「なぜ請けた?」「なぜ断らなかった?」「なぜ他の人に頼まなかった?」という自分への怒りと、「なぜ私に、重なって仕事が来るのよ」「言いましたよね? このデータで、原稿でいいのかと聞きましたよね? 戻り何度目ですか?」という腹立ちが出てくる。相手だって努力してくれているのに。
約束を破りたくない。友人との約束は考えて考えて決めたことだ。破りたくないから、人とはあまり約束をしないという本末転倒な積極性のない自分までいるというのに、なんでこうなるの? ああ、やっぱり私には約束は無理なんだと思い始める。約束を先に作っておけば、それに向かってどうにか調整するのに。いい方向に回るのに。
でも調整できない時もあって、友人との約束を優先すると、先延ばしになる仕事が出てくる。または友人との約束を断ることになる。何度か直前に断って迷惑をかけた。ごめんという時は本当に苦しい。キャパを越えた状況を作り出した原因は何だ? 続く。(hammer.mule)