●酒井順子「ズルい言葉」を読む(角川春樹事務所、2010)。雑誌「広告」「料理通信」「ランティエ」に書かれたコラムを集めたもの。この人の文章は自然体というのか、抵抗なくするすると読めて気持ちがいい。物書きだから「他人とは違う、ちょっと気の利いた言い回しを使いたい、という色気をつい出したくなる」と言いつつそこは抑制しているし、「我々の思考はかなりのところ紋切り型の表現に支配されている」と言いつつ、書くときはそんな表現は排除しているからだろう。女子高校生だった頃は、とか、たり、みたいな、といった曖昧にぼかす言葉を頻用していて、大人になったらそのクセは治るかと思っていたがますます重症化していると筆者は嘆き、責任を逃れたいという気持ちが、若い頃よりますます強くなって来たから曖昧語をつかうのだと分析する。「私たちの生活の中に、その手のズルい言葉があふれている。意味をぼかす、逃げ道をつくる、みんながつかう言い方に同調する。そんな手法によって、私たちは安心を得ているのです」、たしかに。このコラム集は、そんなズルい言葉に対する「え?」という気分を採集したもの。とんちんかんなセンスや、使われ過ぎて陳腐な言葉、ほとんど言霊信仰にちかい言葉もぞろぞろと。「ある意味」の魔力、なんてみごとな分析で感心した。「ズルい言葉」は、つい使ってしまっても文章では使わない、そう決意したのであった。(柴田)
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●姉妹誌で執筆してくださっている、武さんに描いてもらって作った国際演劇学会大阪大会のチラシとサイトの評判がいい。ミュンヘン大会で配ったチラシは、多くの方に余ったのがあったら欲しいと言われ、持っていったものは、すべてはけたそうだ。和のテイストは少しだけにしたつもりが、外国人にとってはそうではないらしく、拡大解釈までしてくださった(鳥肌が立つとか、美しい上に不安を掻き立てるとか、明るい希望と血の中のような不安とが隣り合わせになっているとか)。依頼者の要望を頭に入れて、いろいろ考えてみたけど、まんまだと面白くない。武さんの描画だと絶対面白くなると思った。彼の原画には、何か力がある。ポスターではもっと迫力が出そうで楽しみ。/取引先で打ち合わせ。社長さんとお話。売り上げがうなぎ上り。凄いですねと言ったら「凄くなんてないですよ。孫さんは一代であの規模でしょ? 僕なんて頑張ってここまでですから。」。/守りに入りがちな私であるが、誘われて会社設立に参加。皆のキラキラがまぶしい。お金儲けが大の苦手で(仕事はする)、小さくまとまりがち。自分をどげんかせんといかん。/Macでデュアルモニタ。ノートだと外部モニタが自動的にメインモニタになるが、iMacと外部モニタだとiMacがメインになる。メインにはメニューバーやドックが表示される。外部をメインにしたい時にどうするか? システム環境設定→ディスプレイ→調整の画面で、メニューバーである白い横長のイラストだけをつかみ、外部モニタ側に移動。(hammer.mule)
http://www.firt2011osaka.org/
微調整中。
http://labaq.com/archives/51508951.html
使わなくなったマックの使い道
http://bipblog.com/archives/1154384.html
Googleルート検索結果。「太平洋をカヤックで横断する」