●小路幸也「話虫干」を読む(2012、筑摩書房)。登場人物のひとり圖中は「だが、何なんだろうこの感覚は。この得も言われぬ違和感のようなものは」と度々考える。読者であるわたしも読んでいる間中ずっと感じていた。視点が圖中になったり、糸井になったり、意味不明の展開がめんどうくさいので、一度ならず投げ出そうとした。
圖中とは夏目漱石の「こゝろ」に登場する「私」「先生」の青年時代の姿で、糸井とは「話虫干」という任務を帯びて漱石の「こゝろ」の舞台となる時代に送り込まれた現代の図書館員である。
貴重な蔵書の物語の中に入り込み、話の筋を勝手に書き換えてしまうのが「話虫」で、それを阻止して物語の内容を元に戻すため「虫干し」する(デバッグする)のが「話虫干」だ。糸井と上司の榛は明治時代に進行形の物語中にダイブ、登場人物になりすまして「話虫」を捜索する。
「こゝろ」の「k」は桑島として登場し、漱石本人、小泉八雲、それにシャーロック・ホームズなども加わり、ますます混沌とした世界になって行く。果たして「話虫」とは誰だったのか、その正体はなにか。そして「話虫干」は完遂されたのか。
よく思いついたよなあ、この設定。レトロで居心地のよさそうなバーチャルリアリティ空間。どうやって辻褄を合わせて結末に導びくのか、期待して読み進めたが、いまひとつ納得できない終わり方であった。それでも、すてきなファンタジーであることは確か。夏目漱石の「こゝろ」は遥か昔に読んで、大筋しか覚えていないが、辛気くさい話だったな。「話虫」はそれを明るい方に転がそうとしたのではないか。「話虫」がほかの名作にとりついて…、という続編を期待、できない。これ“一発芸”だろう。(柴田)
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●「こゝろ」は教科書で途中まで読んだ。続きが知りたくて買って読んだ。もうほとんど話は覚えていないけれど、心が痛くなったのを覚えている。二度と読みたくない。
神社で。当たるはずのない、入るはずのない出店。こういうのは実の親だとやらせない。でも甥らにとっては経験なので、一度ぐらいはとこわれるままに財布の紐を緩めるワタクシ。輪投げ。甥四人分を払い、お店のおばさんに「おまけしてくださいねー」と言ってみたら、笑顔で本数を増やしてくれた。何も言わないのに途中でも追加してくれた。入るはずはないので懐は痛まないし、店先が賑わうしとWin-Winではあるけれど、やらない人はやらないよね。
くじ引きもやった。通りかかるたびにやりたいと言うので、やらせることにした。不公平になるから全員分ひかせる。当然ながら全員ハズレなのだが、そのおばさんは、本当はシールセットなんだけどといいながら、全員におもちゃの銃をくれた。全員に同じものをくれるとは、さすがだわ。四人の男の子を育てる苦労へのエールかも。わたしゃこの子らのママじゃないんだよな〜と思ったり。
とは書きつつ。なんかある時期から、これらのお店に限らず、子供と一緒じゃなくても、おまけしてもらうことが増えた気がするというか、おまけされない時は知らないわけだから、いつでもラッキーな気がして嬉しいわ。出店の人たちとは二度と会わないだろうけど、店舗ならまた行こうって気になっちゃうわ。 (hammer.mule)