●10月20日の毎日jpに「ニッポン号:日誌見つかる 国産機初の世界一周、克明に」という記事が載っていた。「ニッポン号は1939年8月25日に羽田を離陸。東回りで55日間かけ4大陸2大洋を飛行した。宿直日誌はB5判よりやや小さく、縦書きの便箋約50ページに、現地の状況や社の対応が万年筆で克明に書かれていた」とある。やっぱりあれは史実だったのだ。太平洋戦争が始まる少し前、世界中の人々を驚かせ、日本人に勇気と誇りを取戻した快挙。
偶然だが、ちょうどそのころ、原田マハ「翼をください」を読み始めていた(毎日新聞社、2009)。物語の中心はニッポン号である。なんというタイミングのよさだ。物語によれば、戦後GHQがこの飛行機の記録を抹消したというので、なんとなく陰謀がらみの架空の話かと思い、モデルとなる世界一周が本当のことかどうか、あとで調べようとしていたのだ。500ページ近い大冊だったが、面白くてもう時間を忘れるくらいのめりこんだ。世界一周は本当だった。しかし、この小説ではとんでもないシカケが施されていた。
始めの方は、最高度、最速度飛行の記録保持者にして、大西洋横断単独飛行の経歴の持ち主、しかも若く美しい女性パイロット、アメリカ人のエイミー・イーグルウィングの物語である。エイミーはアメリカ政府のバックアップで、世界一周の飛行に旅立つが、この計画の裏に隠された軍の秘密を知ったあと、太平洋上で消息を絶つ。
いっぽう、現在の日本、新米女性記者が会社に残されていたニッポン号関係の古いアルバムの中から、奇妙に塗りつぶされた一枚の写真を見つける。データ化して絵具を除去すると、日本人ではない女性の顔が浮かんで来る。公文書に残されているニッポン号の乗員は7名。8人目の名前はない。ましてや外国人女性の名前は。このあたりで、「翼をください」のシカケはわかってくる。
世界一周に挑戦するも太平洋上で失踪してしまった、伝説の女性パイロットがいたのは史実だ。アメリア・イアハートである。白人至上主義だった時代に、日本人がいち早く飛行機による世界一周を果たしたことは史実だ。毎日新聞社の「ニッポン号」である。このふたつの史実をからみあわせて、みごとな冒険談が生まれた。膨大な資料と徹底的な取材の賜物といえる快作である。最近、原田マハにハマってる……同じ表現をどこかで見たが、マハをいいと思う人はみんなそうなる。(柴田)
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原田マハ「翼をください」
●続き。7時40分に大阪城公園駅に到着。快晴。改札まわりに長い列ができていて、帰りの切符のためかと思いきや、トイレのためであった。もうここから競争ははじまっていた。
駅から大阪城ホールに向かう大きな道路に大勢のランナーがいて、その場で着替える人、グループ参加で記念撮影をしている人、ストレッチをしている人ちがいた。8時までに荷物を預けなければと、ウォーミングアップスーツを脱ぎ、忘れ物がないか確認。
8.8kmなので補給はいらないしとウエストポーチ類はなし。日差しは強くないし、お昼までには終わるからと持っていかなかったが、サングラスはあった方がいいと知った。道路の照り返しがまぶしい。そして夏の格好でもいいと思った。すぐに暑くなる。大会なのにUV対策万全のマスクと帽子、サングラス、手袋の女性もいた。顔が全然わからない。
顔といえば、UVカットクリームのみであった。体育の授業の感覚。クリーム塗るだけマシか。どうせすぐに汗をかいて落ちるのだ。私と同様の考えの女性はいたが、ほとんどは普段より濃いのではないかと思うような華やかな人たち。ウェアが派手なんだもの、顔も派手にしないとバランスとれないよね。汗でとれないお化粧教えてください……。続く。 (hammer.mule)