●田勢康弘「島倉千代子という人生」を読む(1999、新潮社)。いつもはカウンターで用済みなのだが、今月始め頃、なにげなく図書館の棚を覗いてみたらこの古い本が目に入った。なぜか気になり借り出して読んでいたら、11月8日に島倉千代子が亡くなった。不思議なことがあるものだ。
著者は日経新聞の記者を30年、仕事柄自らを歪んだ人間だと言う。肩書きで人を信用しない。「島倉千代子に出会った時、この人こそ、私が書くべき人物だと思ったのである。出会った瞬間に、この人を通して戦後を懸命に生きた日本の庶民を描きたいと思った。(略)それはまた、終戦直後に生を得た庶民の一人である私自身の心象風景を描くことでもあった」とイントロにある。
彼は島倉のためでなく、自分のために島倉千代子を書いた。そのことは、取材と執筆を申し込んだ時にはっきりと言い、島倉もよろこんで受けた。だから、文中に「私」がしばしば登場する。それは「私」を通して島倉を語り、「島倉」を通して時代を語るスタイルだからだ。一年かけた取材と執筆。時には事実の残酷さに当惑し、あえて書いていないこともあるという。どろどろした暴露話は抑え込み、全体に品のある冷静な筆づかいが好感を呼ぶ。
島倉の人生は、ひとりの女性が生涯経験する試練としてはこれ以上ありえない、というほど波乱に富んでいる。失踪さわぎ、ファンの投げたテープが目にあたって失明寸前、離婚、保証人になったばかりに抱えた巨額の借金、紅白歌合戦辞退、乳がん手術。いつもどこか不幸にじっと耐えているというようなイメージのある島倉だが、実像はまったく違った。「島倉は『島倉千代子』という類稀なる商品を、常に技術革新を続けながら売って来たビジネス・リーダーであった」と筆者は分析する。
「島倉の歌に人は島倉の人生を重ねて聴く。哀しい歌は、島倉の心の痛みを、明るいテンポの曲は、それのもめげず健気に生きる島倉を。人々は想像をかき立て、その上に己の人生をまた重ねるのである」。そうだったのか。納得できる。島倉には「母」の歌が多い。「東京だョおっ母さん」「かるかやの丘」「子別れ吹雪」が筆者のベスト3。歌謡曲嫌いの妻がいないときYouTubeで聴いてみたが、母と子の別れを歌った「かるかやの丘」にはただ涙。母ものを歌うとき、島倉は子の気持ちで歌うと同時に、母の気持ちも歌っているのだ。
わたしの一番好きな、いつ聴いても必ず涙する「東京だョおっ母さん」は昭和32年の大ヒット曲だ。島倉の代表作といっていいと思う。しかし、35回のNHK紅白出場で一度も歌っていない。二番の歌詞に「やさしかった兄さん」が待つ靖国神社を歌ったくだりがあるから、NHKが歌わせなかったと思われる。文中には歌詞がいくつも収録され、巻末に36ページもの「島倉千代子歌唱年表」がある。写真も多く収録され島倉ファンにおすすめの本だが、今は品切れ、単行本、文庫本とも中古品が2500円以上する。(柴田)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/410396703X/dgcrcom-22/
島倉千代子という人生
http://www.youtube.com/watch?v=737dBPB_1mM
かるかやの丘(最後まで聴きましょう)
●続き。どんどん後ろに抜かされる。みんなの申告タイムってどんなだったのよ? 余力のある最初の方に時間を稼ぐ作戦? とにかく私は1km8分だからと抜かされるのを気にせずに走る。家人の話だと、どんなに気をつけても、本番だと興奮してハイペースになってしまうと聞いていたので、ゆっくりゆっくり。おかげでまわりがよく見えた。
ちょっとゆっくりしすぎたかなぁと思いながら1km地点を通過したら、ハシログから30秒以上速いと注意された。ええーー。しかしこれを7分にセットしていて、30秒以上遅れていると注意されたら、身体のことを考えず、焦ってペースをあげていただろうと思う。走る前から足の裏や足指、膝に違和感があった。結果的に同じペースになったとしても、楽しめなかっただろう。
5km過ぎたあたりから、今度は抜くことが増えてきた。こちらのペースは変わっていないから、ペースダウンする人が増えてきているってことだ。続く。(hammer.mule)
http://stocker.jp/diary/illustrator-dreamweaver-cc-new-feature/
行き来しなくてもデザインビューでのスクロールは毎回発生。
MacOSX 10.8.5
https://itunes.apple.com/jp/app/id444669604?mt=8ハシログ。トレーニングナビの「大阪マラソン本番モード」だと、1kmごとに距離とコース周辺のみどころをアナウンスしてくれるんだって。練習中に使えば良かった。