●「自民が民法改正案了承し今国会成立へ」と報道する新聞によれば、裁判に訴えていた婚外子らは「自分の価値が半分ではないことを、ようやく法律が認めてくれた」と語った。思わず首肯してしまいそうな気高いお言葉だが、騙されてはいけない。彼らの言う人生の(人間の)価値とは相続する金の額である。なんとさもしい思想であろう。そもそも相続なんてものは、それがプラスだったらラッキーで、マイナスであっても引き継ぐのが原則である。婚外子は相続がマイナスであっても「自分の価値が云々」と名乗り出て来るだろうか。
このたびの争点は、正妻・嫡出子側と、妾・非嫡出子側の遺産のとりあいの調整にある。当然、双方の利害や心情も考慮しなければならない。正妻・嫡出子をさんざん悩ませ、親の扶養義務を放棄しながら、相続の場面にだけ現れて権利だけを主張する人物を(まあ、そういう輩ばかりではないと思うが)、良識はどう見るだろう。最高裁大法廷は、正妻・嫡出子側を一顧だにせず、非嫡出子の利益にだけ目をむけた歴史に残る「偏向裁判」をしでかしたのである。
婚外子らは民法改正閣議決定に歓迎の声を上げ「法改正がまだ社会に残る婚外子への偏見の根絶につながれば」「これをきっかけに、子どもは平等だとの考えを社会で共有できれば」と話したという。しかし、相続の金額の差がなくなることで、子どもは平等だと考えるのがおかしい。莫大な遺産を得た子供と、わずかしか得られなかった子供は平等ではない、ということになる。
たかが個人の相続に平等だとか、人権だとかいうのが異常である。裁判に訴えていた婚外子らは案外マトモで、背後にいる人権屋や日本の家族制度を解体しようとする勢力に「言わされている」「利用されている」のかもしれない。いちばん婚外子への偏見を持っているのは、婚外子を「利用」する彼らである。
2012年に内閣府が実施した世論調査においては、現行でよいとするものは35.6%(1979年調査では47.8%)である。婚外子が相続できる金額を嫡出子と同じにすべきとするものは25.8%(同15.6%)、どちらともいえないとするものが34.8%(同20.3%)であった。また、厚生労働省の人口動態統計によると2011年の日本における婚外子の出生率も2.3%(1979年当時0.8%)と増加。
この数字から、国民感情が「明らかに変化している」というのが最高裁の判断だが、YESとNOが拮抗しているのならともかく、こんな数字で「明らかに変化している」というのは詭弁だ。こんなバカな最高裁の判断に唯々諾々と迎合し、民法改正を急ぐ国会も大バカである。(柴田)
●続き。運動前だから水分は多くとっておいた方がいいかもともらう。発売された当初、運動をしていない時に飲もうとすると、ちょっと重いなぁと感じてしまい敬遠してた。硬水を飲む時のあの感じに似ていたのだ。が、整列前、給水所では甘い水。するっと入った。
私の向かった50基ほどある女性用仮設トイレには長蛇の列。各1基の前に20人はいたと思う。トイレットペーパーを補充してくれるボランティアまでいた。ほとんど女性の宝塚歌劇観劇でのトイレの列には慣れていたものの、ひとり3分として、ええーーー! である。人が多すぎるため、フォーク並びでさえない。駅のトイレに並ぶ人たち大正解。あっちなら並んでも20分だろう。
どこも列だろうと迷っているうちに、後ろにも並び始める。待っている間にストレッチしたり、携帯で連絡をとっている。女性用なのに並ぶ男性もいて、男性用のは、左に見えている青いドアの方だよ、きっと男性用の方が早いよ、抜けてくれ〜と自分の列には関係ないものの、思ったりはした。女性用のはピンクのドア。男性用のにはドアのないのもたくさん。参加者の女性比率はどんなものだろうと考えたりした。暇なもので。10分経過、20分経過、30分経過……いやもう整列時間には間に合いませんよね。続く。 (hammer.mule)
http://www.osaka-marathon.com/2011/result/
2011年
http://www.osaka-marathon.com/2012/result/
2012年。女性が増えつつあるのね