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写真を楽しむ生活

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カテゴリ ‘編集後記’ のアーカイブ

●有栖川有栖「幻坂」を読む(メデァファクトリー、2013)。大阪を舞台にした怪談である。大阪はリアリズムが支配的なせいか、怪談とはあまり縁がないそうだ。そこで大阪生まれの物書きとして「ないなら自分が書いたらええ」と、天王寺七坂という狭いエリアに絞って描いたのがこのシリーズで、怪談雑誌「幽」の連載をまとめたものだ。わたしも、かつて大阪には頻繁に通った時期があり、地理もかなり把握していたが、天王寺七坂とは初めて。


「一心寺さんの横、四天王寺さんから通天閣の方へ下っていくのが逢坂、そこから北に向かって順に天神坂、清水坂、愛染坂、口縄坂、源聖寺坂、そして真言坂。」。それぞれの坂をタイトルとした短編は怖い話ではない。不思議で、切なく、淋しく、やさしい。ジェントルゴーストストーリーというジャンルらしい。だが「口縄坂」は例外だ。坂の名前から、蛇が出て来て云々という話かと思ったら、出たのは怪猫だ! なんというおぞましい結末。


七つの坂の話のあとに、松尾芭蕉の終焉のときを描いた怪談「枯野」と、平安時代の歌人・藤原家隆を描いた「夕陽庵」の二話が収められている。じつに味わい深い作品であるが、天王寺七坂シリーズとはまったく別感覚で、なんで同梱したのかと思ったが、この二話が入らないと単行本としてページが不足なのだから仕方がないか。


カバーの影山徹のイラストが素晴らしくいい感じ。また各短編の扉には野原勤による坂のモノクロ写真が配され、これまた情緒がある。大阪に行く機会があったら、大阪近郊JR大回りをしたいと思っていたのだが、天王寺七坂巡りも加えたい。所要時間一時間、スタンプラリーもやっているみたいだ。もっと格調のあるビジュアルならよかったのに。これじゃ要らない。(柴田)


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有栖川有栖「幻坂」
http://www.ueroku-wake.net/special/nanasaka/
天王寺七坂 ご利益いっぱい歴史も満載スタンプラリー(うえいくネット)


●「幻坂」読んでみようかなぁ。怪猫で怖くなるといやなので読むのはやめようかなぁ。天王寺七坂は近所。日本橋に行く時は、源聖寺坂を下る。そういや写真を撮っている人に出会うことあったわ。


続き。子供同士の政略結婚で、世の中を知らないままだったルイ16世とアントワネット。財政困窮はその前の世代までの使い込みのせいだという話もある。「お茶の時間」という、古いしきたりを嫌うルイ16世が、決議されるまでに24回の会議が必要だから諦めたとぼやくシーンもあった。


革命後に市民の暮らしは良くなったわけではない、貴族同士の争いに利用されただけだというベルナールらのシーンがあった。実際、王妃らが断首された後、革命派の代表ロベスピエールらも断首されていった。こういうのも、ファンらは脳内補完していくわけで、ベルばらはよりいっそうドマチックになっていくのだ。


牢獄と断頭台のシーンでは、横でうたた寝していた、見ず知らずのおばさまの目から涙。会場はすすり泣き。ここに持っていくまでのフェルゼンとアントワネットのラブラブシーンが少なすぎるんだよなぁ、でもオスカルのシーンは見たいしなぁと、友人らと感想を述べ合う私。ほんとねー、もうねー、またベルばら? 役替わりのために三回も見るわけ? と言っていたのに、LINEのベルばらスタンプまで買っちゃいましたわ。続く。(hammer.mule)


http://ja.wikipedia.org/wiki/ルイ16世_(フランス王)
「アメリカ独立戦争を支援したことから、『アメリカ建国の父』たちにはルイ16世に崇敬の念を抱く者が多かった。」


http://ja.wikipedia.org/wiki/マクシミリアン・ロベスピエール
「恐怖政治に転じて粛清を断行したため、独裁者というイメージが定着している」


http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1042677640


「フランス革命はどうしてロベスピエール独裁になったんでしょうか。」答え:「ロベスピエール独裁」なるものは存在しません


http://ja.wikipedia.org/wiki/ハンス・アクセル・フォン・フェルセン
「フェルセンは群衆によって惨殺された」


http://ja.wikipedia.org/wiki/カミーユ・デムーラン
ベルナールのモデル。「かつての友であるロベスピエールに対抗」「ダントン派と共に粛清され、裁判後に処刑された」

●宮田珠己「だいたい四国八十八ヶ所」を読む(本の雑誌社、2011)。集英社WEB文芸RENZABURO連載をまとめたものだ。「だいたい」とは何事であるか。全部歩かなくてもいいよう逃げを打っている感じもする。でも全部読んだら、この本は8度にわたる区切り打ちの旅、足掛け3年にわたる歩き遍路で、四国八十八ヶ所をパーフェクトに回った記録であった。おまけに四国一周ループも完成させている。


筆者がお遍路に行く神妙な動機はない。四国一周したい、八十八ヶ所全部回りたい、いっぱい歩きたいの3点が目的だという。歩き遍路だが気持ちはスタンプラリーであり、四国一周して、ついでに観光もしたいという肩の力を抜いたスタンスだ。いわば「偽遍路」による面白い紀行文だ。旅の醍醐味である「ここにいる」感があふれていて、とても楽しい。


四国遍路と聞けば、田んぼやあぜ道や山中の静かな林道をイメージするが、へんろ道の9割以上はアスファルト道路である。古来難所といわれてきた登山道の「へんろころがし」はおおむね楽しく歩けて、現在の「へんろころがし」(お遍路の真の敵)は山より車道という結論に達したという。


筆者にとっての四国遍路とは? と問われれば、「マメです」と即座に答える。それくらいの大問題だったが、土踏まずがへしゃげないよう、固い中敷きで補強するという方法で乗切った。歩き遍路が心地よいのは、多くの人と互いに深入りしない程度に出会えることである。わたしもやってみたい。


実はわたしも50年近く前の夏、四国八十八ヶ所の一部、といってもいま納経帳見ながら数えたら、じつに六十三ヶ所を自転車で巡拝している。大学2年の時、わたしがリーダーでサイクリング部の夏合宿を四国で行った。徳島─室戸岬─高知─松山というコースだ。


合宿の前に徳島県、後に愛媛県、香川県の札所を回ったから、いったい何日間、四国にいたんだろう。合宿の最終日は雨の中、高知市から松山市まで、事故もなく一日で走り抜けたのはすごかった。当時は国道でさえ未舗装だったから、へんろ道ものどかなものだった。また四国遍路に出たいなあ。残るは二十五ヶ所である。(柴田)


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「だいたい四国八十八ヶ所」


●続き。フェルゼン編だと、断頭台のシーンも好きだ。アントワネットを救おうと危険を顧みず牢獄に救出に来るフェルゼン。が、彼女は子供を案じ、王妃として立派に死なせてくれと伝える。


断頭台への階段では、華やかなドレスばかり着ていた彼女が、みすぼらしい服、首を出すために切られた短い髪で、「さようならベルサイユ、さようならパリ、さようならフランス」と言った後、背中を見せて上る。フランスに輿入れする時には「さようならウィーン、さようならオーストリア」と言って二度と帰れなかったといわれている。


有名な「愛それは甘く、愛それは強く、愛それは尊く、愛それは気高く」というオスカルとアンドレのラブラブ一番の歌詞ではなく、二番の「愛それは悲しく、愛それは切なく、愛それは切なく、愛それははかなく」を歌いながらセリ下がるフェルゼンと、断頭台の階段を上るアントワネット。続く。(hammer.mule)

●ここしばらく(正確には13日間)夕食時のビール(正確には第3の)がうまいったらなかったが、その後(正確には2日間)は不味く感じて、さらにその後はまた普通にうまいのであった。大相撲5月場所のせいだ。贔屓にしている稀勢の里のせいだ。苦手の把瑠都、琴欧州、日馬富士に勝っているから、待ちに待った初優勝は確実と思っていたのに……。


大相撲の15日間は落ち着かない。毎日17時半ごろになるとテレビ桟敷へ行く。稀勢の里の取り組みのときには決まって立ち上がる。げんを担ぐ。こうするときっと勝つ。15分の13だったけど。


以前、稀勢の里が先に構えるときは負けることが多い、という発見を書いた。何場所かはほぼその通りだったが、稀勢の里は変わった。今場所は下位を相手にしても、明らかに後からゆっくり構えるということはなかった。同時か、先に構えるかしていた。また、上げていた片方の拳をついてから立つというアクションをやめて、両手をついてすばやく立つようになった。立ち合いが早く、鋭くなった。腰も低い。失敗したのは千秋楽だけだ。


稀勢の里が所属する鳴戸部屋は、独自のポリシーをもつ先代鳴戸親方が出稽古を禁止していた。その先代が死んで、4年ぶりに出稽古が解禁になり、各部屋の強敵を相手とする稽古が可能になった。それが5月場所の快進撃につながったのだと思う。だから稀勢の里はますます強くなる。今年中に横綱になる。15日が終わると憑き物が落ちたように、平穏な気分にひたるわたしだ。隔月でこういう刺激があるのもいいものである。勤め人には味わえない、リアルタイムの楽しみだ。


ドッペルギャンガー 202 blackmax、とっても快調。ハンドルとディレーラーの不具合は簡単に調整できた。昔取った杵柄。元サイクリングクラブだもの。このサイズの自転車なら、スポーツ車のような極端な前傾姿勢にならないから、体は楽だし眺めがいい。車体が重くないからペダルを踏み込むだけスピードが出る。いつもの図書館往復なんか、アンパンマン号に比べたら2/3くらいの時間で済む。キャリアがないので夏場のデイパックは暑くてつらそうだが。(柴田)


●続き。普通はここまでやらないよね、ということは、他では見られないよね、ということでもある。体質に合わなければ受け入れられないし、一度受け付けてしまったら、「何度再演するのよ、もう見たくないわ〜」と言っていても、見てて恥ずかしいのに、「ああ、これだったわ!」と再燃する。ええ、再燃しましたとも。そして突っ込んだり、パロったりできる隙があるところもいいなぁと思ったりする。


最初に書いたように、長い話の切り貼り。説明のためのシーンと名シーンとがあって、説明シーンは眠くなる。主要人物が少ないため、他の人たちの場面も必要みたいで、ここやるよりはカットされたあっちのシーンの方が良かったのに〜と思うことも。「彼の死を無駄にしてはならない。自由と平等と友愛のために。シトワイヤン行こーー!!」というシーンが凄く好きだ。血が騒ぐ。


フェルゼン(王妃の恋人・いわゆる不倫相手)に失恋し、ジェローデルとの結婚話が来たオスカル。アンドレが人にとられるならと毒薬を盛り、我にかえって告白する。はじめてアンドレを意識しはじめ、死を覚悟した出陣前夜に結ばれるオスカル。で、そのやーーっと手にした幸せを、アンドレの死によって砕かれてしまう。こう書くと身もふたもなく、オスカルの逆ギレっぽいシーンになってしまうのだが、まぁ半分はそう。彼の死を〜で民衆がどんどん増えていき、行こーーー! と叫び戦闘シーンになる。(続く)(hammer.mule)

●齋藤孝「子どもと声に出して読みたい 実語教」を読む(致知出版、2013)。[声に出して読みたい]シリーズ、いつまで続くのかな。もういいって感じもするが。「山高きが故に貴からず」「玉磨かざれば光無し」という言葉は知っている。元ネタが「実語教」であると知った。というか「実語教」なんて人生で初めて出会う単語だ。


「実語教」という本は平安時代の終りにできたといわれる。子どもたちの教育に使われ、鎌倉時代に世の中に広まり、江戸時代に寺小屋の教科書になった。「学問のすゝめ」も「教育勅語」も「実語教」が下敷きになっているようだ。わたしの世代はこの本の存在を知らない。「教育勅語」も教わらないから知らない。もちろん、わたしの直後の団塊の世代も知らない。だから日本はこんな不甲斐ない国になってしまったのではないか。


筆者は「実語教」を「日本人千年の教科書」と呼ぶ。日本人は長い時間の流れの中で「実語教」を学び続けて、日本人として生きる基礎を作って来たからだ。使われている言葉は古いが、基本は「しっかり学んで向上心を持って生きて、世のためになる人になる」とシンプルだ。昔の子どもたちは「実語教」を読んで暗誦し、懸命に学んだ。この学びの精神が日本をつくってきた。


筆者は「実語教」の言葉を29項目にまとめ、その意味と伝えたい内容をやさしく解説している。小学校高学年なら読める。英語なんかやらせるよりこれを読ませたい。


ほとんどが初めて聞く言葉である。だいたい意味はわかる。漢文で96文字、読み下し文でもたいした分量ではない。何度も何度も声をだして読んで行くと、そのうち暗誦できるようになるだろう。じっさい声に出して読むと気持ちがいい。「絆」なんて空虚な言葉は出て来ないゾ。書き下し文をコピーしておき、ときどき読んでみたい。Kindleにも無料本があった。コピー不要だからこっちがいいか。


「実語教」の中には、昔の中国に生きた孔子の教えが数多く入っている。だが、今の中国では誰ひとり孔子の教えを理解できないだろう。北朝鮮の首領サマに向けて言う。「人肥えたるが故に貴からず。智有るを以て貴しとす」。南朝鮮の皆サマに向けて言う。「嘘つきは泥棒の始まり」。あ、これは「実語教」じゃなかった。平然と嘘を言うようになれば、良心がなくなって盗みも平気ではたらく人になるから、嘘はついてはいけないという戒め、ですヨ。(柴田)


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齋藤孝「子どもと声に出して読みたい 実語教」


●『ベルサイユのばら』続き。特別出演するスターらのプレッシャーは大きいだろう。忙しいスケジュールを縫って、短い練習時間で仕上げる必要がある。自分の組の名誉をかけて出演しているから、いいものが多い。特別出演によって、他の人たちの番手を下げることにもなるし、「トップスター」という肩書きがついており、外様なわけで、中途半端なものだと観客は納得しない。


この公演は一回でいいや〜と思っていても、特別出演の組み合わせを見たいがために、チケットを買うことになる。時間とお金がかかるからやめて〜、でも組み合わせが良かったりすると嬉しいからやって〜、なのだ。


ベルばらは、時代遅れと書いた。古典、いわゆる時代劇なわけであり、コスプレだと衣装に負けないように、演技は大げさなものを望まれる。宝塚の演技は、2,500席ほどの大きな劇場用なので元から大げさなのだが、ベルばらはよりいっそう大げさ。これに歌までつくんだから、濃く強い劇薬のようなもの。甘い砂糖菓子の上に劇甘チョコがコーティングされ、その上に甘いトッピングが載ったようなもの。(続く)(hammer.mule)

●武論尊「原作屋稼業 お前はもう死んでいる?」を読む(講談社、2013)。マンガ原作者・武論尊、別名・史村翔。超ヒット作「北斗の拳」はあまり好みじゃないから読まないが、池上遼一と組んだ作品は単行本を揃えて愛読した。wikipediaを見ると、この人はものすごい数のマンガ原作を手がけている。マンガ原作者といえば梶原一騎、小池一夫、その次くらいにエラいのだろうか。よくわからない。


「北斗の拳」誕生から30年という節目の年に、マンガ原作者という仕事が自分にとって何だったのかを振り返り、読者にはマンガ原作者の現実を知ってもらいたい、ということでこの本が生まれたという。12ページにわたる「ちょっと長いまえがき」を読むと、これはきっとマンガ業界の濃い話が満載のおもしろいエッセイかなと期待がふくらむ。ところが本文は、自伝でもない、エッセイでもない、虚実をないまぜにした、あまりガツンとこないフィクションであった。嗚呼、本格自伝を読みたかったんだよ。


29歳、独身、金ない愛ない希望ないの三重苦で人生に絶望しているオレ(ヨシザワ)が、酒場でブー先生(武論尊)と出会って、弟子入りを直訴する。唐突な無理筋イントロだ。それまではIT会社に勤めていて、創作の世界とはまったく無縁だった男が、奇人変人の編集者にしごかれ、ブー先生に原作者としての生き方やマンガ稼業のあれこれを教わりながら、悪戦苦闘して成長する姿を描く。だいぶご都合主義ではある。


登場するキャラクターやエピソードは実在の人物、団体とほぼ同じらしい。嘘もたっぷりまぶしてあるようだ。愛すべきキャラのブー先生はそのまんま武論尊だと思う。しかしながら、やっぱり「ちょっと長いまえがき」の内容をじっくり書いてほしかった。フィクション仕立てにして、自分もその中で泳がせ、あれこれ言い散らかすという手法は、イージーに走ったとしか思えない。もっと本音を聞きたい。いちおう面白いが、ずいぶんヘタな小説である。(柴田)


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原作屋稼業 お前はもう死んでいる?


●続き。入団して組に配属されると、人事異動はあるものの、他組への出演はほとんどない。ダンスの好きな人にとっては、ダンスの下手な組に魅力を感じず、観劇をやめることだってある。好きな組の観劇回数を増やしたいがために、他組を見ないという人もいる。


私は好きな組はあるものの、どの組もまんべんなく見るほうだ。好きな組と書いたが、これも作品によっては冷めたり、再燃したりである。いくらスターが頑張ってても、作品がつまらないとスターがスターでなくなってしまうのだ。


で、そういう他組を見ない人にとっては、一度も生で見たことのないトップらが出演し、好きな組のスターと共演(競演)するわけで、滅多に見られない特別な公演となる。(続く)(hammer.mule)

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